2016.06/05(Sun)
自分の価値
ご主人様に、おまえは人を愛せないと、ハッキリと突き付けられてから
それが全て本当の事だったと認めるしかなくなった私が気づけたことの一つ。
引き続き、見えてきたこと綴ります。
わたしは、私の価値を、行動することで感じようとしてきました。
人に何かしてあげて、
ニコニコになってもらえた時
ありがとうって言ってもらえた時
元気になってもらえた時
楽になってもらえた時
寂しい時、寄り添えた時
そんな時に、その人の様子を見させてもらえることで嬉しくなりました。
この、
相手に何かしてあげることが出来て嬉しい、という感情の中には、
なにか、、混じり気のようなものがあることに気づきました。
単純に、大切な人が笑ってくれたり、元気になってくれたとき、
そんなとき、そばにいられたなら、すごく嬉しい気持ちになります。
その人が、元気になってくれる姿を見ることができて、よかったあーって嬉しくなる気持ちです。
それとは、別に、もう一つ。
自分が、元気にしてあげられたこと、辛い時そばにいてあげられた、ということを
内側の私が喜んでいる、自分の中だけでの安心、満たされる様な想いです。
うまく伝えることが出来ないのですが、、
おなじ、嬉しい、でも、その中身が全く違うことを知りました。
人になにかしてあげられていないと、私には価値がないと思いこんでいるからこその、
自分の心の中だけでの、安心する感情です。
だから、
常に、与えていたかった。
相手が必要としていないものまで、与えようとしてしまっていた。
そんな好意、ひどく汚いです。
わたしはそんな混じり気のある好意を、ご主人様にも、大切な人にも、いつも渡そうとし続けてきていたんです。
そして、
大切な人を傷つけてしまうということを、私はなによりも許せませんでした。
大切な人を傷つけてしまう私なんか、生きている意味がないって、本気で思っていたからです。
ご主人様を傷つけてしまう私を責め続ける中で、体を傷つけたくなったこともあります。
だけど。。
それって本当にそうだったのかな?、、
いま、何にもなくなった私が振り返って行くと、
そこの部分に、おっきな疑問符が沢山ついていきました。
ご主人様は、おっしゃいました。
人と人なんて、傷つけ合うのが当たり前、 だと。
ずっと教えてくださっていたのに、わたしには、その意味がわからなかった。
いまのいままで、
大切な人を傷つけてしまうなんて、あり得ないって思い続けて生きてきた私の心は、
ご主人様の仰られている大きな言葉の意味が、どうしてもわかれなかったのです。
自分の価値は、人に与えることだと思い続けて生きていたから、
人に与えない自分を受け入れる、ということは、
自分の価値が無いと感じる状態を、受け入れなくてはいけないということだったのです。
だから、
出来なかった。
価値がない自分を感じてしまえば、私はまたダメになる。
だからこそ、
自分の価値を信じたくて、
私は心から与えることのできる人だとどうか信じていたくて、
走り続けてきました。
でも、
わたしの心には、
そういう混じり気のある自分のための行動があったんだという事実をきちんと認めることができた時から
わたしは、わたしの価値を求め続ける行動がひどかったことを知り、
そしてその求めるための自分の心満たすための好意を渡す行動が、
あっけなく、止みました。
自分の価値がもう何もないなら、
間違った価値観で、走り続けなくても良くなりました。
そこからは、私が、ただ、わたしでいるだけで良いと思えるようになって
自分がしたいとき、したいことを、
ただ、していればいいんじゃないかなぁ、、と思えるようになれてきました。
そして、
そこから見えてくるのは
いつか与えてくださった、大切なご主人様のお言葉です。
「ゆなはそのままで価値がある」
ずっと、その意味がわからなかったけど、、
今ならわかる気がします。
それは、ご主人様の暖かい暖かい奴隷のゆなへの大切なお言葉でした。
愛せなくてもいい。
なんにも、与えられなくたっていい。
ただ、ゆなはゆなのままで、価値がある。
ご主人様が、ずっと教え続けてくださっていた大切なお言葉達が
ゆなの心に、いま、たくさん染み込み始めているのを感じています。
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