2016.03/02(Wed)
主従が必要だった意味。
だいすきなだいすきなご主人さまだけの為の、
愛玩道具
愛玩ペット
愛玩どれい?
言い方はちょっとずつ違うけど、
あ、そしてゆなはどの言葉でも呼ばれたことはないけれど
ゆながなりたかったのは… もしかしたら そんな姿だったのかもしれないな〜…って思います。
傷つけられてても、
汚い言葉投げかけられて、蔑まれたとしても、
ビンタされても
首絞められても
顔踏みにじられても。
どんなことであったって、
ゆなとご主人さまの中でそのことが、「可愛がられ、られている」に変われることなら
なんでも、ほんとになーんでも、幸せだったんです。きもちよかったんです。
でもそれ以外の、可愛がられていない自分のとき、ゆなは不安になっちゃってもいたのです。
だから、
悲しいなぁってなる気持ちとか、寂しいって思ったりする心が来ることが怖かった、。>_<
そんな気持ちを持つゆな自身を、ゆながみとめていないから、
だからこそ、ご主人様の存在が必要だったんじゃないかなぁとおもうんです。
でも、
本当に誰かを愛した時、愛せた時
自分の心とかそんなちっぽけすぎるどうでもいいこと…なんにも関係なくなって。
その人が困ってる時、
支えてあげたくて、笑って安心させてあげたくて、ゆなが苦しい寂しいなんて言わないで、ただがんばるねって前を向いていたくて。
ただ、それだけの気持ちになれて。
そんな相手への暖かい気持ちが膨らんで行けば行くほど、
ゆなのなかで、その人の奴隷でいる、という必要性がなくなっていくように感じました。。
奴隷でいることはゆなにとって、常に与えられ続けているだけの存在な気がしたからです。
人間的な部分まで、奴隷として心を全部委ね続けるということは、
ゆなの愛情表現では難しいことがあるのかもしれない、と感じていきました。
誰かに、心を全部委ねて、お渡しできることで感じる幸せと同時に、
誰かに委ね続けることの苦しさをしりました。
。。。。
そして、ご主人様と離れているいま。
ゆなには、つよく感じていることがあるんです。
私は、もう、これから先、全部の部分で奴隷になって、
絶対的なご主人様っていう、こころの逃げ場を探すことなんかじゃなく、
じぶんの心のことは、じぶんでする。
じぶんのことは、責任持って、自分が預かり生きていく。
そう、やっていこうって決めたんです。
わたしは、あと何回ここに記事を書くんでしょうか、
大切な大切な生きる道のわかれみち。
ゆなはいま、、そこに立っているような気がします。
※今回、ここに書いたことは、みんなわたし個人の場合、考えです。
価値観は人それぞれです。
けっして、他の方どうのこうのではありませんので、どうか嫌な気持ちになられるかたがいませんように✨(o^^o)
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